江戸時代、仙台藩に迫害を受け、処刑された“隠れキリシタン”がいたことをご存知でしょうか?
その殉教したキリシタンを追悼する慰霊祭がことし9月、岩手県の寺で行われました。
なぜ寺がキリシタンを追悼するのか?
歴史をひもとくと“隠れキリシタン”と仙台藩主・伊達政宗との切っても切れない関係が分かってきました。
■“隠れキリシタン”慰霊祭で「お経と聖書」の言葉が響く
仙台藩だった岩手県一関市藤沢町の長徳寺。9月、初めてとなる仏教とキリスト教との合同慰霊祭が行われました。
寺の境内に建立されたのは十字架が象られた慰霊碑。参列した檀家や神父、牧師が、江戸時代に迫害を受けた“隠れ(=潜伏)キリシタン”の霊を慰めました。
式ではお経と聖書の言葉が響きました。

僧侶:「南無阿弥陀仏」
牧師:「私達の罪をおゆるしください。アーメン」
長徳寺・渋谷真之住職:
「不思議な感じがするが、それくらい信仰の併存、あらゆる拠り所が詰まった場所」

石巻栄光教会・川上直哉牧師:
「人間の尊厳は壊れていく。誰かが弔ってくれるから人間でいられる。ありがたい」

事の始まりは16世紀、キリスト教の伝来以降、勢力を広げる外国人宣教師に危機感を抱いた豊臣秀吉、そして徳川家康はその布教や信仰を禁じます。