■寺とキリシタン共存の歴史「伊達の国を挙げて偽装」

それをひもとく古文書が宮城県登米市の教会で見つかりました。


宗門改帳。キリシタンの取締りを目的に幕府が全国の大名に指示した信仰に関する調査書です。
これに記された人は、長徳寺の檀家であり、キリシタンではないことを証明するものです。


カトリック米川教会・鈴木星史信徒代表:
「キリシタン辞めました。名前があるとキリシタンではないですよ」


ところが長徳寺では、処刑された300人のほかにも、潜伏していたキリシタンを檀家に組み込み、かくまっていたことが分かってきたのです。
しかも、その末裔も檀家として弔い続けていました。


長徳寺・渋谷真之住職:
「分かっているんだけど仏教徒にする。信仰はお任せします。命が助かる非常に重い書物」


隠れキリシタンの歴史に詳しい宮城県石巻市の川上直哉牧師は“地域ぐるみで黙認”していたと指摘します。

石巻栄光教会・川上直哉牧師:
「伊達の国を挙げて偽装している。書類上キリシタンを処分しました、転宗しましたと。その代わりに地域の経済、生業が回る」


長徳寺・渋谷真之住職:
「信仰の並存。日本人だからできたこと、日本人の良さが出ている」

檀家:
「地域柄、困っている人を助けてきた」
「ロマンある話、今となっては悲しいとかではなく、今に伝わって来ていると捉えたい」


慰霊祭に参列した石巻市にある「サン・ファン館」の平川新館長は、幕府の方針に反してキリシタンを容認する伊達政宗の外交の独自性がより際立つとして注目しています。