「みんなが立ち寄れる、サロンのようになれば」

高校時代、バレーボール部だった俳優の別所哲也さん(1984年卒)もそのひとり。部活の仲間とほぼ毎日のように通っていたという。

Q.卒業後も立ち寄ることがあったか?
「折にふれて森パンの『お母さん』に会いに行っていました」

Q.森パンの思い出は?
「先輩の買い出しに行った時、かけてもらった『がんばってね』というやさしい言葉が忘れられません」

Q.閉店は知っていたか?
「部活の先輩から聞きました。とても残念で、寂しく思いました」

Q.別所さんにとって森パンはどんな存在だったか?
「自分たちの青春の拠り所でした。バレー部だけでなく、東高の生徒たちみんなの心の拠り所だったと思います」

Q,おばちゃんへ
「本当に長い間ありがとうございます。心から感謝しています」

またこんなエピソードもある。

ある日、藤枝東高OBでロックバンド「スピッツ」のベース・田村明浩さん(1986年卒)が卒業後30年以上ぶりに、友人と立ち寄ったことがあったという。びっくりしたのはその翌々日。次から次へと初めてのお客さんがやって来る。聞いてみると、なんとスピッツのファン。田村さんが森パンを訪れた翌日の静岡県内でのライブで、母校や森パンの話をしたそうで、熱心なファンたちが藤枝まで足を伸ばし、森パンを「聖地巡礼」したという。

「埼玉からって人も来たよ。遠くから来て、うちにまで足を運んでもらって、ありがたかったよ」

学校の前に駄菓子屋があって、学校帰りの生徒たちが立ち寄る、そんな光景は、コンビニやカフェなど、生徒側の消費行動の変化や後継者問題といった店側の事情などにより、姿を消しつつある。

令和の時代、100周年を迎えた藤枝東高では新校舎が完成した。卒業生の思い出深い古い校舎は取り壊され、同じく思い出深い森パンは閉店した。それでもおばちゃんは笑って言う。

「お店は閉めても、みんなが立ち寄れる、サロンのようになればいいなって。私がここにいれば、みんな寄ってくれるら!」

おばちゃんご自慢の、冬は陽があたって暖かく、夏は風が通って涼しい、エアコンいらずの店内で、きょうも立ち寄った卒業生に聞いているだろう。

「あんたの代のサッカー部は誰だね?」