2025年4月、軽井沢で幼少時代を過ごした写真家のトム・ハールさんが京都市で個展を開きました。

戦後、ハワイに移り住みましたが、日本との縁がきっかけて、海外で活躍する日本人のアーティストをモチーフにした作品などを発表してきました。
トムさんの一家はハンガリーの出身で、同じく写真家だった父親の仕事のため1940年に来日。翌年、戦争が始まり、43年の春、東京から軽井沢に強制疎開させられました。

トム・ハールさん:「戦争中は爆弾を防ぐために窓に黒い紙を置いたのは覚えています。1944年ごろかな。英語で言えばハウスアレスト(自宅軟禁)っていうのかな。家が牢屋みたいになっちゃってね」
食料がなかったことや厳しい寒さに耐えなければならなかったことは、幼かった頃の記憶の片隅に残っています。
トム・ハールさん:「(父が)いくつカメラを持ってたか知らないですけど、1回カメラと食べ物を交換したというのは聞きました」
さらに、トムさん自身も戦後長らく知らされていなかった大きな悲劇がありました。
トム・ハールさん:「お母さんの家族が大変でした。僕のおばあさん、ナチ軍がブダペストに来た時に亡くなった。戦時中、アウシュビッツとかキャンプに行かされて…」
トムさんの一家はユダヤ系でした。その事実を知ったのは、戦後20年以上が経った28歳の時。母国の親戚はホロコーストの犠牲になっていました。
トム・ハールさん:「レイリーおばさんは戦争中、地下に隠れていたんだってアンネフランクみたいに。だけど彼ら(両親)にとっては知らなかったよね。たぶん手紙とかでそれを分かったっていうことで、すごいショックだった。それで子供(自分)に教えなかった」