殉職した日赤の救護看護婦は、1120人にのぼる

(森原敏子さん)
「恐ろしかった。でも、みな婦長さんの言いつけで全部するから。みんなまとまっていましたね。まとまらなきゃ、どうにもならない」

目の前の命と、ただ向き合い続けました。

敏子さんは、終戦から3か月後に帰国。60歳目前まで、岡山赤十字病院に勤めました。

日中戦争から終戦までの間に、戦時救護によって殉職した日赤の救護看護婦は、1120人にのぼります。

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