■戦時中の作品に手を加えた竹喬「作品から太陽を取った」

後悔からか、竹喬は戦時中に描いた作品に手を加えています。



(笠岡市立竹喬美術館学芸員 柴田就平さん)
「この真ん中に太陽が描いてあると思うんですけれども、戦後に完成作品の太陽を取っているんですね。太陽をなぜ取ったかというと、太陽って『旭日』、要は戦争ですよね。日本のそういう昔のイメージというのが見えてしまうというので、本画の作品では取ってしまっている。」

日本を代表する画家、そして1人の父親として。自分の歩むべき道を探し続けていたのかもしれません。





(美術史家 上薗四郎さん)
「何を求めて、何を描くべきかということだけを反芻して、自分は何を描こうと思って絵描きになったんだろうか、ということも多分問い質したと思う」
「社会的に事を為すとか、そういうことから離れて、純粋に絵描きとしてどう生きるべきかということの意味で、厳しい製作の姿勢をする発端となった1つの中に、春男さんの死というものもおそらくあったんだろうと思う」






春男さんの戦死の知らせを受け、「私はこれから2人分の仕事をする」と日記に書いた竹喬。息子、そして同志である春男さんの無念を胸に死ぬ直前まで絵筆を握り続けた竹喬。その穏やかな作品は今も平和の尊さを静かに語りかけてきます。