■春男さんが出征直前に婚約者を描いた「絶筆」の作品


(笠岡市立竹喬美術館学芸員 柴田就平さん)
「これは、春男さんの婚約者であった彌生さんを描いたといわれる絵でして、出征直前に描いた絶筆といわれている作品。なのでちょっと色彩もちょっと薄くなっていると思うんですけれども、完成させる前に出征してしまったということで…。」

志半ばでの戦地への出征
最後まで画家であり続けた

志半ばでの戦地への出征。軍の幹部候補生に志願すれば最前線から帰れると知っても、それを拒否。最後まで画家であり続けました。

■春男さんの死 竹喬の作品の向き合い方にも大きな変化が

同じ道を歩もうとしていた春男さんの無念の死
約40年にわたり小野竹喬を研究する美術史家、上薗四郎さん
「春男さんの死が竹喬の作品の向き合い方にも大きな変化をもたらした」

同じ道を歩もうとしていた春男さんの無念の死は、竹喬の作品の向き合い方にも大きな変化をもたらしたと、約40年にわたり小野竹喬を研究する上薗四郎さんは話します。

(美術史家 上薗四郎さん)
「時代の流れの中で、国威発揚する、その流れに乗ってしまったという思いがあったと思う。戦時協力体制の中では、京都の日本画家を代表して、それに協力する立場になっていたから」

「『負い目』という言葉を使ったら適切かどうかわからないけれども、『絵を描くことでしか、自分はみんなの思いに報いることはできない』と」