■ 消防と病院 命を救う最前線はあの時…

熊本地震から 6年。
余震が続く中で現場への指示を送る熊本市内の消防署内を記録した映像と被災しながらも多くの患者を受け入れた救急病院。
2つの命の現場、地震の記録です。


「まず避難場所にいって自治会長と接触してください」
(熊本市東消防署内)
これは6年前の地震直後に熊本市東消防署内を記録した映像です。
署員が現状の把握に奔走するなか…


大きな揺れが何度も署員を襲います。

当時この場で指揮をとっていたのが熊本市消防局の小田 浩警防部長(当時副署長)です。


予想を超える出来事が起こっていたという現場の状況は…
「対応ができないくらいの事案数、人間が足りない、応援が欲しいといったことでかなり混乱していました」(小田 浩 当時熊本市東消防署 副署長)


小田さんが語るように無線などで現場から入ってくる情報は…

「8か月の乳児が行方不明状態です。余震があるため作業できない」
(15日 午前0時15分 益城町から)

「防火水槽貯水ゼロ。水無くなりました」
(15日午前0時50分頃)

当時の映像を見返すなかで得られた教訓もあります。


「水がなくなった、じゃあどうするのかということで10トンの水槽車を要請したり、水道局に連絡したり。有事の場合は組織のトップ同士が直接話をする、直接交渉することによって迅速かつ的確に対応できると」(小田警防部長)

熊本市東消防署は大きな揺れを記録した益城町のすぐ近くに位置し、地震から2週間で多くの命の現場に対応してきました。
(火災7件、救助6件、救急522件)
記録の検証を含め、新たな現場で活かす努力はいまも続けられています。


「今後いつ襲ってくるかわからない地震災害や大規模災害に対して、悲観的に準備をして楽観的に対処をするとこういった危機管理の1つの原則が重要であるとおもいました」(小田警防部長)