「まさか」の空襲 兄の涙

戦争末期に近づくと、人吉の基地も米軍による空襲の対象となります。基地だけでなく、田畑が広がる小さな集落も狙われました。

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平山さん「バラバラバラ、ドーンと空襲。爆弾と機銃掃射が、自分にいつ当たるかと、もう南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、どれだけ唱えたかわかりません」

住んでいた集落では、大人2人と子ども2人の命が奪われました。

平山さん「真ん中、胸に穴がぽくって空いて、プクプクしているのに、うちの兄が通りがかって『何とかしたいけど自分では何もできん』と、泣いてきました」

「まさか空襲はあるまいと」思われた、故郷への攻撃。

戦争の恐ろしさを身をもって感じた平山さんは、二度と同じ過ちを繰り返してはならないと言葉を強くします。

平山さん「本当に、戦争みたいな哀れなもんはないですわ。もう愚かなこと。絶対、戦争はしちゃいかん。これだけは本当ね、体験者としてずっと伝えていかんといけんと思います」