熊本市の中心部を流れる一級河川「白川」にかかる橋の一つに安巳橋(あんせいばし)があります。古くは安政橋、あるいは「やすみばし」と呼ばれ、明治時代には軽便鉄道の線路も通る交通の大動脈でした。しかし隣接する大甲橋に路面電車が通るようになってからはその地位を失い、昭和28年(1953年)の6・26大水害で流失したあとは、木造の狭い橋しか架けられませんでした。


それから10年。昭和38年8月に、老朽化のため架替工事が始まりました。当時のニュースはこう伝えています。「新しく出来る橋は総工費520万円の木造橋で、10月終わりに完成の予定となっており、それまでは通行止めのため大甲橋か銀座橋に回ってもらうよう、市の土木部ではよびかけています」

ところが、新しく掛けられた橋も、2年後の昭和40年(1965年)7月の水害で中央部が流されてしまい、暫くの間「仮橋」で凌ぐことになりました。

「工事は半分残っていた橋に、幅2メートルの人道橋を付け足す工事で、地元ではこの半年不便をかこっていただけに大変喜んでいますが、来年度には永久橋をかけてもらえるよう、今後熊本市や関係当局に働きかけることにしています」

2年後の昭和42年(1967年)。新しい鉄橋を架ける工事が始まりましたが、その遅れが問題となりました。「架け替え工事が始まってから一年近くなるというのに、工事は一向に進んでいません。総事業費1億5000万円、幅4メートルの鉄橋を架ける計画ですが、現在は3つの橋脚が川の中にポツンポツンと出来ただけで、工事は中断。熊本市では『来年8月には見違えるような鉄の橋が出来るので、それまでご辛抱ください』と言っていますが、そのスローモー工事には地元から非難の声も上がっています」


そして翌年。5月にはようやく鉄の橋が姿を現しました。しかし、橋ができただけではまだ人や車は通れません。「橋の本体は今年8月には完成の見通しとなりましたが、今度は橋から安政町側に延びる取り付け道路の工事が8月に間に合わず、待望の開通は来年4月になる模様で、地元から不満の声が上がっています」


結局、最終的に竣工して渡り初めが行われたのは、更に遅れて2年後の昭和45年(1970年)になってしまいました。

17年の間に4度その姿を変えた安巳橋。工事に時間はかかってしまいましたが、完成した鉄の橋は流石に堅牢で、今でも現役で地元の人たちの往来を支えています。