濁流にのまれた少年の手に当たったもの
20~30mほど流された田尻さん。この場所にあった電柱が、田尻さんの生死を分けました。
田尻さん「なんか手に当たったね。それが電柱の支線だった。引っかかったのか捕まったのか、とにかくしっかり握ってそれで命拾いした。九死に一生」

70年たった今でも、田尻さんはあの時の母親の表情が脳裏に焼ついて離れません。
田尻さん「とにかく『康博!康博!』って向こうからね。私もつかまっているから『お母さん、助けて』って。必死の形相っていうのかな、母の。あの怖さはやっぱり忘れません」

翌日、自宅の様子は――
近くの産院に避難し、一夜を過ごした田尻さん親子。翌朝、自宅に戻るとその惨状に言葉を失いました。
田尻さん「自分の家と2軒くらい残っているだけで、あとみんな無くなっているから『これ何が起こったのかな』と」

そこにあった多くの家は流され、跡形もなくなっていました。さらに…
田尻さん「川の近くに大きな楠があった。そこにつかまって『助けてくれ』って3~4人言ってたね。水が轟々流れているからまだ助けられない。前日の夜からもう12時間近く、その方たちは木に必死で捕まって助けを求めとった」

一夜にして激変した街の光景。慣れ親しんだ白川が持つ別の一面に呆然としたと言います。
田尻さん「70年前は無知って言ったらおかしいけど『白川は絶対に氾濫しない』みんな確信していた」

その思い込みが、多くの犠牲に繋がったと感じている田尻さん。
田尻さん「雨が多くて洪水になったらどこに逃げるか」
当時の体験を語り継ぎ、災害に備える活動を行っています。

空振りでもいい、早めの避難を
この70年の間にも、氾濫を繰り返してきた白川。「九死に一生を得た」かつての少年。その経験から『早期避難』の必要性を強く訴えます。
田尻さん「自然の力には私たちは勝てないです。水害はこれからも起こるかもしれません。空振りでもいいから、昼間の明るいうち、安全なときにまず避難をする。これが私は一番かなと思います」
