◆「自由に生きる」ことが罪だった時代
自由に生きようとすること自体が「罪」である時代。大杉栄(36歳)と伊藤野枝(28歳)は権力から目を付けられ、関東大震災の後、ちょうど100年前の9月16日、陸軍憲兵によって殺害されたのです。たまたま一緒にいた大杉のおい橘宗一(6歳)も殺されています。
森まゆみさん:親が(嫁に)行けと言ったから行ったとか、家に子供がいっぱいいてとてもじゃないけど食べられないので嫁に行ったとかという話は、野枝よりずっと下の世代までありますよね。それを「やっぱりおかしい。やめなければならない」と思ったのが、野枝のすごいところです。同じような考えを持つ仲間と東京で出会って、運命が展開していくわけですが、自分で悩み苦しんだ中から出てきた思想を野枝は書いていますから、殺されなかったら、もっともっと伸びしろのあった人だと思います。でも、「畳の上で死ねない」という自分の予測の通りに、野枝はくびり殺されたんですが。
「他人によって受ける幸福は、絶対にあてにはなりません。どれほど信じ、どれほど愛する人によって与えられる幸福にしても、私はそれに甘えすがってはならない、と思っています」(『婦人公論』1923年5月号)。
森まゆみさん:私はこの文章がすごく好きで、いつも自分の頭で考え、人に頼らないで生きていきたいという時に、すごく励まされる文章です。
◆100年早かった女・伊藤野枝
会場の400人に「どこから来たのですか?」と質問が出ました。北海道・東北という方もいらっしゃいましたし、東京もかなりいました。100年たって、伊藤野枝の生き方について改めて光が当たってきたなと思います。
来ていた方に、感想を聞いてみました。
神戸:野枝さんの生き方、どう思いました?
女性:大胆ですね。私も「こうしなさい」と言われるのは好きではないので、信念に基づいた生き方は、すごいなと思います。当時、形を残してくれたので、今そういうことを勉強できる。もうちょっと後の時代に生まれれば、違った形があったのかなとは思います。
女性:私は平成生まれなので、女性が仕事をするとか、結婚しない選択とか当たり前だと思って生きてきていて、100年前に、もっと「女性は結婚して子供を産めばいい」という風潮が強い中で、子供を産んでも仕事を頑張って、社会の風潮に逆らって、ものともせずに自分の道を生きた野枝さんの生き方に感動したし、そういう風に生きていきたいなと感じました。野枝さんが28歳まで生きて、その先を私はまた生きているのだと思い、これからどう生きていけばいいのか、すごく考えさせられる時間となりました。







