◆過去に何度もあった反日デモ・不買運動

処理水の海洋放出が始まって以降、中国側で起きた動きを見ていると、苦い思い出がよみがえってくる。過去、中国国内で発生した反日デモだ。大規模なケースでいうと、2005年、2010年、それに2012年に起きた。

2005年は3月下旬ころから歴史教科書問題、日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名活動が始まった。それが中国各地に拡大した。暴徒化した市民によって、日本の資本が入ったスーパーに対する暴動が発生した。

2012年は、中国本土や香港の活動家が沖縄県の尖閣諸島に上陸し、この活動家らが逮捕・強制送還された。さらに日本政府が尖閣諸島を国有化したことで、国営メディアが中国国民の反日感情をあおり、反日デモが繰り返されるようになった。

反日デモは、日本が中国へ抗議したことに対し、中国政府は「そもそもの原因は日本側にある」として謝罪を拒絶した。今回も、中国各地にある日本人学校に石や卵が投げつけられるといった、嫌がらせが相次いでいる。児童・生徒が乗ったスクールバスも標的にされかねない。

また、中国からかけているとみられる嫌がらせや苦情の電話が福島県などで多発している。「ショリスイ」「バカ」「シネ」などの単語も含まれる。山東省青島の日本総領事館の近くでは、「日本鬼子(日本人の蔑称)を叩け」と書かれた大きな落書きが見つかったという。

「日本鬼子」――。「化け物と同じ日本人」という翻訳すべきか。清朝末期、日清戦争が始まる頃に、清朝の政府関係者が発言した言葉が元で、その後、日中戦争を経て定着し、今なお中国で日本人に対する蔑称。さげすんだ表現だ。

日本製品に対する不買運動を呼び掛ける動きも出ている。「化け物のような、鬼のような日本人」という蔑称。それに不買運動が加われば、数年前、十数年前の反日デモより、もっと過去の出来事を連想してしまう。

「日貨排斥」という言葉がかつてあった。日本の商品(=日貨)を排除するという中国の反日大衆運動。第一次大戦中の大正4年(1915)、日本は中国に「21か条の要求」を突き付けた。中国において、日本の権益を認めるよう要求したものだ。

日本は中国に受諾させたが、これに対し、中国国内では反日運動が巻き起こった。中国民衆は日本の商品の排斥、それに4年後の「五・四運動」につながる抗日運動を、連想してしまう。100年以上前の日本と中国の間の歴史がよみがえる思いだ。

◆9月は「ある記念日」に要注意

中国政府は「国際的な公共利益を無視した極めて自分勝手な行為」として処理水の海洋放出をやめるよう日本側に要求している。中国はなぜ、科学的根拠も示さず、これほど頑ななのか? 経済が停滞し、若者の失業率も高い。国内に溜まってきた不満のガスを、日本に向けて発散させている――。そんな見方がある。

ただ、海洋放出が決まった当初から、中国はずっと反発してきた。この間、日中間の政治レベルで、事態の収拾を図る努力がなされてきただろうか。もちろん、台湾有事を含めた安全保障でアメリカと同一歩調を取る岸田政権への不信感が背景にあるのだろう。

そして、処理水放出はずっと続く。中国は、挙げたこぶしをいつ、どこかでおろすか――。中国だって、難しい立場にある。

気になるのは、まもなく、日中間での「ある記念日」がやってくる。それは9月18日、満州事変が起きた日だ。日本軍が旧満州(=現在の中国東北地域)への軍事行動のきっかけとなった事件は1931年(昭和6年)の9月18日に起きた。中国では過去においても、この日に、反日運動の炎が各地で燃え上がったことがある。9月は要注意だ。


◎飯田和郎(いいだ・かずお)
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。