玄界灘に浮かぶ相島(あいのしま)は、福岡県新宮町の港から船に乗って17分で行ける小さな島。「古代の海洋民族が捧げた祈りが今も変わらずあるように見えた」―歴史好きのRKB神戸金史解説委員は先日、プライベートで島を訪れ、驚くような光景に遭遇したという。RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で語った。
◆実は行ったことがなかった相島

4月9日(日)に、福岡県新宮町の沖合にある相島に妻と2人で行ってきました。「島には猫がいっぱいいて、猫好きの人が集まっている」とか、「真珠の養殖が近年盛んだ」という島の情報は、テレビニュースでよく見ていたのですが、実際に訪れたのは初めてでした。
相島は新宮港から北西に7.5キロ、玄界灘に浮かぶ小さな島で、ハートのような形をしています。人口は223人で、小さな島ですね。江戸時代には朝鮮通信使が江戸の幕府に向かう時に立ち寄りしていまして、遺跡も残っています。
船は1日に5~6便あって、たまたま港の近くにいて「ちょうどいい時間に渡船があるから行ってみよう」と、港に車を置いて船に乗りました。潮風がとても気持ちよくて、17分の乗船時間はあっという間でした。
◆「猫好き」と釣り客の島

島に着いてみると、海の水が澄んでいて底の石が見え「きれいだな-」と思いました。釣り客がいっぱいいましたし、猫目当ての人は一生懸命スマホで撮っていました。タイの棒寿司を買って食べてみました。島起こしで作ったんだそうです。おいしかったですね。
周回路は1周5キロちょっと。食後に散策しました。桜の花がまだちょっと残っていて、ハラハラと散っていました。海はきれいだし、気分がいい。「これはおすすめだな!」と思いました。
◆相島に残る「積石塚群」

事前にネットで調べていた妻が「古墳があるらしいよ」と言うので、その情報を頼りに、古墳があるという海岸まで歩いてみました。すると、見たことがないような光景にびっくりしました。
海岸は砂浜ではなく、石だらけなんですが、そこからちょっと引いたところに、石積みの古墳が塚のようになっていて、それがいっぱいあるんです。海岸線に沿って約500mにわたって、254基の石積みの塚がずらりと並んでいました。これが、国指定史跡の「積石塚群(つみいしづかぐん)」です。
古墳時代には日本各地で死んだ人を埋葬するため、土を盛って様々な古墳が造られていました。その中に、石だけで造った古墳があります。それが「積石塚」と呼ばれているものです。
見渡す限り石があって、時々こんもりと石を盛り上げた、いわゆる「墳丘」タイプがありました。ほかに石を寄せて棺を作っただけのタイプも。一番大きい墳丘タイプは、全長20mもあって2段になっている「前方後方墳」でした。
有名な「前方後円墳」は鍵穴みたいな形をしていますが、大きな四角に小さい四角がついているのを「前方後方墳」と言います。全長20mの塚に立って、そこから海がきれいに見えました。
【新宮町からのお願い】
積石塚は自由に見学できますが、壊れやすいものなので見学される場合は十分な配慮をお願いいたします。また、石だけの場所ですので、けがなどにも十分ご注意下さい。
◆「西日本最大級の積石塚」だった

積石塚についてよく知らなかったので、新宮町立歴史資料館の学芸員、樫村拓男さんに電話で聞いてみました。
樫村:全国に古墳は約20万基あると言われてますが、そのうち「積石塚」は約2000基と言われています。普通は古墳の「墳丘」を土で作るんですが、全部石で造っています。相島には254基あり、西日本では最大級の規模ですね。遺物から、築かれた年代は5~7世紀ぐらいでないかということがわかってきています。
7世紀というのは西暦600年代。推古天皇の時代です。古墳時代の本当に最後の最後、飛鳥時代に入ってきています。「西日本最大級の規模」と教えていただいて「すごいな!」とワクワクしました。
◆海洋民族の墓地か?

しかしこの古墳、誰が造ったのかは分かっていない、というのです。
神戸:この島にその時代、一定の人口がいたということになりますよね。
樫村:うーん、島の中を調査したんですけども、そういう大規模な集落跡は見つかってないという状況ですね。
神戸:そうすると、例えば海を舞台にした海洋民族が、墓地としてこの海岸を使っていた――。そういうことも考えられますかね?
樫村:そうですね。この近くですと、宗像(むなかた)族とか安曇(あずみ)族とか、「海人(あま)族の墓ではないだろうか」と言われているんですが、今現在はちょっとはっきりしたことわかっていないですね。
神戸:「海人族」というのはどんな海洋民族なんですか。
樫村:宗像族も、安曇族も、海の人の族=海人族と呼んでいます。
神戸:広い意味で、海洋をベースにして暮らしていた九州北部地方の人たちのことを、海人族と呼んでいる。
樫村:そうですね。漁業となりわいとする、航海技術に長けている集団、と言いますか。
古代の玄界灘では、海人族が活発に活動していたと言われています。神話の中にもいっぱい出てきますし、その中には「宗像族」や、今の志賀島あたりを拠点としていた「安曇族」という名前が残っています。
海は古代から、物流の動脈でした。元々、瀬戸内海は「海の道」。陸上よりもむしろ海の方がずっと多くのものを運べました。古代から江戸時代に入るくらいまで、明らかにそうでした。
そして、ここ玄界灘は朝鮮半島との境目ですから、いろいろな物流があったはずです。航海技術に長けていた海人族の力を借りないと海を渡れないという面もあったと思います。
まさに私たちがいるところが、列島の窓口だったと言えます。文献史料が残っていないのですが、他に墓が見つかっていないのであれば、ここが集団的な墓地として使われていたのかな、という気がします。
◆宗教観がくっきりと見える

相島の岬の突端に、「めがね岩」という大きな岩があります。突端から100メートルぐらい沖の海に、高さ20メートルぐらいの大きな岩で、潮に侵食されて、きれいにくり抜かれています。琴を引く時、琴柱(ことじ)という音階を調整する三角形の部品がありますよね。あんな形をしています。
古墳群に立つと、目の前に浜辺の石がずらーっと広がっていて、右の方には岩の岬(鼻面半島)があり、その先の海の中に、眼鏡のような形の岩が立っています。対岸は、福間・津屋崎が見える。宗像族の拠点です。
なぜここに墓を造ったのか――。眼鏡岩の綺麗な光景、浜辺、対岸を見ていると、わかるような気がしました。あまりにきれいな光景なんです。大きな岩には「神が宿る」という昔からの習俗があるので、ここを「宗教的な価値のある場所だ」と考えたのだろうな、とそこに立ちながらぼんやり思いました。
岩や山の形は、古代とほぼ変わりません。ここは、海人族が見ていた光景と同じ。人を弔った時に、祈った場所。そこで目に映った光景だったと考えると、「すごいな-」と。歴史は、これが面白いんです。
◆「春 相島!フェスタ」

春の相島はおすすめです。町役場に聞いたら、4月22日(土)9~15時、「相島!春フェスタ」というイベントが行われるそうです。野外コンサート、海鮮焼きや「棒ずし」の販売、子供たちの「島めぐりガイド」(事前に「新宮navi」で要予約)。ぜひ訪れてみてください。
※問い合わせ 新宮町おもてなし協会(092-981-3470)
渡船は16便に増便しているが、満員でその便に乗れないことも。事前に出航時間を確認して、早めに港に行って乗船券と整理券を。
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』(2019年)やテレビ『イントレランスの時代』(2020年)を制作した。







