重い扉が、やっと開いた。袴田事件で検察が特別抗告を断念したことは、歴史的な出来事だ。その翌日、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』では、コメンテーターを務めるRKB神戸金史解説委員が裁判の経緯を振り返るとともに、袴田巌さん(87)の再審を求め続けてきた「ベレー帽の再審弁護人」鴨志田祐美さんに直接話を聞いて、再審法の改正を含む、えん罪救済の根本的な見直しを訴えた。

◆「袴田事件」とは

今日(3月21日)の朝刊は、どこも袴田事件で大展開しています。1966年6月に事件が起き、8月に袴田さんが逮捕されました。67年8月に工場のみそタンクの中から血痕が付いたTシャツやズボンなど「5点の衣類」が見つかります。静岡地裁は68年、この「5点の衣類」を犯行時の着衣として認め死刑判決を出し、最高裁で確定しました。

静岡県のみそ製造会社専務一家4人が殺害された大変な事件で、体の大きかった専務さんを殺害するには「それなりの力を持った人でないとできないだろう」という当初からの見立てがあったと言われています。従業員だった袴田さんにはボクサー経験がありました。この「5点の衣類」が本当に証拠として成り立っているのかが、争われてきました。

◆いたずらに時間がかかる検察の特別抗告

1975年に最高裁は、「『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の原則は、再審にも適用される」という決定をしました(白鳥決定)。新旧の証拠を総合評価して、確定判決の事実認定に合理的な疑いを生じさせれば、再審を請求できることになったのです。

しかし、今回の事件は複雑な経緯をたどっていて、第1次再審請求は地裁・高裁・最高裁とも退けています。1981年のことです。2008年になって第2次請求が始まり、2014年に静岡地裁が再審開始を決定。支援者たちも喜びにわいたんですが、高裁が4年後に開始決定を取り消します。
ところが二転三転、最高裁は高裁に審理を差し戻しました。そして今回、東京高裁が再審開始を決定しました。検察は「判例違反とまで言える証拠評価の誤りを見出せない」と特別抗告を見送ったため、再審が開かれることになり、無罪となる公算が高くなったという状態です。すごく時間がかかっています。