東京駅の丸の内口から外に出て、駅前広場の左手の奥に、両手を広げた像があることをご存じだろうか。像の名前は「愛の像」。日本が占領していたアジア・太平洋の国々で終戦後、戦争犯罪人として裁かれ、命を絶たれた人たちの遺書・遺稿701篇を集めて出版された「世紀の遺書」の収益金で建てられたものだ。しかし、台座には”戦犯”については一言も触れられず、説明文もない。どういういきさつで作られたのだろうかー。
アガペー=無償の愛と刻まれた像
「愛の像」は、高さ9メートルほどのブロンズ製で、男性が両手を東京駅に向かって広げている。台座には、「愛」の漢字一文字の下にギリシャ語で「アガペー」と刻まれている。神の人間に対する「愛」を示す言葉で、無償の愛、無限の愛とも訳される。これ以外には、像の由来や製作者なども一切記されていないので、なぜここにあるのか不思議に思う人もいるだろう。
1973年8月に発行された法務省の公文書「戦争犯罪裁判概史要」(法務大臣官房司法法制調査部)は、法務省が戦争犯罪関係の資料を調査、収集した報告書である。この中に「世紀の遺書」についても記述があった。
<戦争犯罪裁判概史要(1973年法務省)>
~「世紀の遺書」の編さん刊行~
戦犯の汚名を被って大陸や南溟(なんめい=南方の大海原)の地或いは、太平洋の孤島に散華した刑死者は、その数千人の多きに及んでいる。これらの人たちの遺稿も少なくなかったが、連合国はこれらの遺稿は遺品同様若干の例外を除き一切家族に交付することを禁止したので、非常な苦労を重ねて作成した戦犯者は、これらを内還の戦友に託して密かに持ち帰らせるなど大きな苦心を払った。
銃殺刑又は、絞首刑から終身刑に減刑された陸軍主計大尉らは、これらの人々の切々たる叫びを後世に遺すべくかねてより意図していたが、日本側に移管直後これら貴重な遺稿を今のうちに集録編さんしなければと、昭和27年(1952)8月28日巣鴨文化会内に遺書編さん会を設立し、田嶋教誨師を顧問として企画を進め、遺族の手許に埋れたままの遺書を全国から蒐集し、資材資金を外部の篤志家の善意に求め、遂に「世紀の遺書」として昭和28年(1953)12月1日初版を刊行するに至ったのである。
文中の「絞首刑から終身刑に減刑された陸軍主計大尉」が発起人で編纂委員でもあった冬至堅太郎だ







