埋骨場所をずい分探しました

幕田稔大尉の母トメ

幕田大尉が2回目の再審でも変わらず死刑となったので、担当していた金井重男弁護士からトメ宛てに「至急、上京を」という葉書が届いた。急遽面会に行ったトメが息子に会えたのは1950年4月5日のことだった。その夜、死刑執行の宣告を受けた幕田は、翌日書いた遺書に「昨日は偶然の幸運か、仏の知らせか、半年ぶりで母上に会って本当によかったと考えています」と記した。その面会の話が新聞でも触れられている。

<毎日新聞山形版 1953年12月11日>
母トメさんが戦後面会したのは、処刑二日前の二十五年四月五日、巣鴨刑務所で四十五分間面会したのみで、その時も処刑日がわからず「いつ処刑されるかわからないが元気だから心配しないでくれ。お母さんも元気で」と別れたのが最後となった。
(母トメさんの話)今まで埋骨場所をずい分探しましたが、この場所がわかって安心しました。分骨を受けて来ます。あの子は五人兄妹の長男で、父の元陸軍少佐幸吉も二十年十月シベリア抑留の際、病死(当時四十六)したが息子の分骨を山形に持って来て父のそばに埋葬したい。