「民間賠償請求」第一人者の死
この習主席の発言と時を同じくして、日中関係の歴史問題に深く関わってきた一人の中国人が亡くなりました。
「日中戦争を巡る損害賠償訴訟を支援してきた、『中国民間対日賠償請求連合会』の会長、童増(どう・ぞう)さんが10月23日、病気のため、北京で亡くなった。69歳だった。童増さんは、沖縄県・尖閣諸島の中国の領有権を主張する反日団体の会長なども務めた」
童増さんは、かつて私が毎日新聞の記者として北京に駐在していたころの取材相手の一人でした。立場や国籍は異なっても、付き合ってきた方が世を去ったことに、深い感慨を覚えます。
童増さんの主張は、1972年の日中共同声明で国家間の戦争賠償請求は放棄されたが、日本兵に殺された遺族や損害を被った中国市民は、日本に対して民間賠償を請求することができる、というものでした。彼は、従軍慰安婦の生存者、強制連行された元労働者、南京事件の犠牲者、731細菌部隊の被害者など、「ありとあらゆるもの」について、個別に組織をつくり、裁判に訴えようとしてきた、いわば中国における民間賠償請求運動の第一人者でした。







