刃物で刺された苦痛の中、娘は何を感じ、何を伝えたかったのか・・・

事件現場となった公園

福島敏廣さん
「我が子の死の間際。2005年1月18日の福岡の最低気温は3.6°C、曇り時々晴れ。公園の辺りは薄暗く、地面に押し倒された冷え切った土の感触さえも感じ得ない瀕死の状態で、何を見て、何を感じ、何を伝えたかったのでしょうかと思う時があります」

「なぜ?刃物で刺された苦痛の中、痛みをこらえながら、犯人を睨み続けながら、誰?悔しい、どうして?1番心配していたのは空港で待っている同僚や会社の方々に『福岡空港の仕事に行けなくてごめんなさい』そしてお母さんと呼び続け『お母さん一緒に海外旅行に行けなくてごめんなさい』」