客室乗務員になる夢を抱いた福島啓子さんの高校時代

福島敏廣さん
「皆さん、こんにちは。北九州からやってきました福島です」
「今日は『夢を語る公園』への思いについてお話をさせていただきます」
「娘が亡くなって17年経ってやっと前向きの人生を考え始め、それは夢を語る公園の設立がきっかけです」
「我が子、啓子に恥じない人生を送ろうと思い始めて、我が子の友人知人や会社の同僚の方々に手当たり次第に生前の啓子の生き様やエピソードを聞き回っては、我が子の生きた証を探し求めていました」
「娘・啓子の高校時代。高校のホームルームでの発言」
「我が子は高校に入学して、高校1年の時に啓子は将来客室乗務員になる夢を抱き、ニュージーランドにホームステイしました。滞在先の学校やホームステイ先の家族と触れ合う中で自分の語学力の未熟さを痛感したのか、帰国後は本当に語学習得に意欲を持って勉強を続けていました」
「そんな夢に向かって突き進む我が子が高校のホームルームの時に発言したのは今から26年前のことで、今のスマホのようなアプリやSNSやGoogle検索などの機能がなかったガラケー時代の時のことです。学生に携帯電話が必要かとの議題になった当時、携帯電話はクラスで数人が持っているような時代でした」
「啓子はみんなの前で『高校生には携帯電話は必要ない』と言い切ったらしく、『そんなものに頼るより相手の顔の表情や姿を直に見て話をした方がいい』と堂々と述べたそうです」
「なぜなら、便利なツールとしてもちろん分かるが、『私たち高校生くらいで緊急に連絡が必要なことはほとんどない。特に大切なことを話すなら、学校や下校の時にその相手に面と向かって話すことの方が伝わりやすい。そしてその際の相手の態度とかで、状況やお互いの感情も理解し合える』との理由をみんなに力強く言い放ったらしく、そのことは亡くなった後から複数の啓子の友人から聞きました」
「その当時から人との直の触れ合いを重視していたのだと感じ、今振り返ってもわが子らしい、誇らしい発言と感心しています」