元々「安」だと意識して「あ」を書く人はいない
漢字を輸入した時、「やま」という大和言葉を表現する際に漢字の「山(サン)」をあてはめました。だから、「山」という漢字の読み方は「やま」と「サン」とあるわけです。ひとつの漢字なのに読み方が増えてしまいました。この特徴が、日本語を難しくさせている一番の理由です。
同じように、ひらがなにもいろいろな書き方がありました。漢字の「和」から、ひらがな「わ」が生まれていますが、「王」「倭」を崩して「わ」と読む字もありました。少なくとも、3つの文字があったのです。
ほかにも、「多」「堂」「当」「田」を略して書いた字は、全部「た」と読みました。「し」は「之」「志」「新」「四」「師」「思」「事」「斯」。1つの言葉に1つの字ではないのです。江戸時代までの人たちは、いろいろな仮名を、寺子屋で学んでいました(漢字を学ばない庶民の子には必須の教養でした)。
「わたし」を崩し書きしたのが「和多志」ですが、「和」も「志」も、漢字の意味はゼロ。「あ」と書く時に「安」の意味だと意識して書く人はいませんよね? それと同じです。調和と志なんて、デタラメもいいところです。
江戸時代まで、1つの音を表現するいろいろな仮名があり、筆で書いていました。明治時代に入って学校教育が始まり、1つの音に、1つのカタカナ・ひらがなを当てる、と決めたのです(1900年の「小学校令」)。五十音表は、けっこう新しい話です。使われなくなった以前の文字は、「変体仮名」と言うようになりました(当然ですが、江戸時代の人は自分が書く文字を「変体仮名」とは呼んでいません)。
※ちなみに、大正生まれで2000年に亡くなった祖母「古登」は、いつも変体仮名で名前を書いていました。幼い頃に「おばあちゃんの名前はひらがななの、それとも漢字?」と聞いた時、何と答えてよいのか相当戸惑っていたのを私は覚えています。変体仮名の文化は、そのくらいまで残っていたのですね。
スタジオに、『日本語の歴史』という岩波新書を持ってきました。
【山口仲美著『日本語の歴史』(税込み1,034円)】
現代の日本語はどのようにして出来上がってきたのだろうか。言葉と漢字との巡り合い、係り結びはなぜ消えたか、江戸言葉の登場、言文一致体を生み出すための苦闘など、日本語の歴史を「話し言葉」と「書き言葉」のせめぎ合いととらえる視点から読みなおし、誰にも納得のいくように、メリハリの利いた語り口で説き明かす。第55回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
2006年に買ったこの本は読みやすく、とても勉強になりました。「和多志」の動画を作った方にも読んでほしいです。適当なことを言って戦前を美化する動画はものすごく多いので、乗せられないようにしましょう。日本語を愛する、保守的な私からのメッセージです。
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。学生時代は日本史学を専攻(社会思想史、ファシズム史など)。毎日新聞入社直後に雲仙噴火災害に遭遇。東京社会部勤務を経てRKBに転職。やまゆり園事件やヘイトスピーチを題材にしたドキュメンタリー映画『リリアンの揺りかご』(2024年)は各種サブスクで視聴可能。5月末放送のラジオドキュメンタリー『家族になろう ~「子どもの村福岡」の暮らし~』は、ポッドキャストで公開中。







