福岡県筑前町の大刀洗平和記念館に展示されている九七式戦闘機。

特攻に向かう途中に不時着し51年後に引き揚げられたものです。

大戦末期には旧式化していたものの数多くの特攻に使われた機体です。

九七式戦闘機に乗っていた元特攻隊員の男性は戦争について「愚の骨頂だ」と訴えています。

「特攻なんかで死にたくない…(同期と)本音で話してました」

元特攻隊員・鳥谷邦武さん(98)
「成功するかしないかの特攻で抱えたこともない爆弾を抱えていくなんて馬鹿らしいな。もったいないな。だから特攻なんかで死にたくないなと(同期と)本音でよく話していました」

大刀洗平和記念館で特攻について語る鳥谷邦武さん98歳。

元特攻隊員で、80年前特攻に飛び立つ直前の仲間の姿を鮮明に覚えています。

元特攻隊員・鳥谷邦武さん(98)
「今まで散々訓練してきたのに何の役にも立たないで、犬死にしに行くようなもんじゃねえか、と」
「皆さん死刑の判決を受けられたことはないと思いますけども、あれと同じですね」

大刀洗陸軍飛行学校の入学式

鳥谷さんは16歳だった1943年、現在の福岡県筑前町にあった「大刀洗陸軍飛行学校」に入り、飛行訓練に明け暮れる日々を過ごしました。

そして、1945年3月18歳の鳥谷さんは特攻隊員に指名されました。