広島原爆を描いた絵本『おこりじぞう』で知られる画家・詩人の四國五郎(1924-2014)の叫びを、一人で演じる公演が全国を巡っている。「時代を超える絵と言葉の力」を、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長が9月24日に出演したRKBラジオ『田畑竜介GrooooowUp』で伝えた。

絵本『おこりじぞう』を描いた詩画家

四國五郎が描いた原爆ドーム=提供:四國光さん

『おこりじぞう』という絵本があります。広島の原爆のことを描いた本です。幼い子が亡くなってしまう話でした。その絵を描いたのが四國五郎さんです。絵と詩で、反戦平和と戦争の記憶の継承を一途に訴え続けた方として知られています。2024年はちょうど生誕100年、没後10年でもあり、再評価が進んでいます。

アトリエで絵を描く四國五郎(1999年、75歳)=提供:四國光さん

【四國五郎】
画家・詩人。1924年広島生まれ。
20歳で徴兵され、満洲で従軍、敗戦後は3年強にわたりシベリア抑留を経験。1948年に帰国した際に弟の直登が原爆で死亡したことを知り、以後生涯をかけて反戦平和のために、絵と詩で膨大な作品を描き残す。言論統制下の時代、峠三吉らとの「われらの詩の会」による「辻詩」や『反戦詩歌集』『原爆詩集』に絵や詩で参加、「広島平和美術展」の創設といった活動とともに、NHKの「市民の手で原爆の絵を」運動に協力する。2014年没。


※絵本『おこりじぞう』は、金の星社刊(1979年)と新日本出版社刊(1982年)の2種類がある。ともに税別1,400円。

長男光さんの著『反戦平和の詩画人 四國五郎』

長男の四國光さんによる評伝『反戦平和の詩画人四國五郎』(藤原書店、税別2,700円)も出版されました。スタジオに持ってきましたが、父の素顔に迫る評伝です。

”パギやん”が演じる「一人芝居」

ギターも交えて1時間20分=大分県中津市で8月23日

この四國五郎について表現しているのが、大阪在住のミュージシャンで俳優の趙博(チョウ・バク)さん。「浪花の歌う巨人」の異名を持っていて、通称”パギやん”。2023年から、四國五郎の反戦平和の思想と行動を、一人芝居で描き出す舞台『広島の母子像四國五郎と弟・直登』の全国巡業を続けています。

五郎さんの絵をスクリーンに映しながら、朗読やギターでの歌など、1時間20分の独演会です。9月23日に大分県中津市であったパギやんの公演を見に行ってきました。すべて記憶してしゃべるのはすごいな、と思いました。

四國五郎(右)と弟直登=提供:四國光さん

四國五郎さんは幼いころからとても絵がうまくて「神童」と呼ばれていましたが、3歳下の弟・直登さんも絵がとても上手だったそうです。五郎さんたち兄3人が軍隊に召集された後、直登さんが家に残っていて、母親と当時10歳だった末の弟と暮らしていました。直登さんは橋などの警備を命じられて、働いていました。

そして8月6日、徹夜の警備を終えて宿舎で寝ていた時に被爆し、足に大けがを負いました。何とか翌7日の夕方、広島市内の自宅にたどりつきましたが、8月27日夜半に息を引き取りました。18歳でした。

18歳の弟が亡くなったということが、戦後シベリア抑留から帰ってきた四國五郎さんにすごく大きなショックを与えました。直登さんは大けがをして苦しい中でも、日記を書いていました。それを、パギやんが読み上げました。

四國直登の日記を手に

直登の日記:
八月二十五日 土 曇風強し
ゆうべは下痢のため六回も大便をする。母が夜半に遠く井戸水をくみに行かれ寝ないで頭や足を冷やしてくださる。世界で一ばんよいひと。

八月二十七日 月 雨ふったり止んだり
今日は腹具合が少しよいが、足が激痛。朝食はおも湯、昼も同じ。足が痛い。(注:学校に)ゆくのを中止――

五郎の独白:
弟よ おまえの日記はここで切れる。ぷつんと。目を閉じて書いたように文字は大きくゆがみ、ゆくのを中止――と書いて切れる。お前の人生も断ち切られる。断ち切られて、終わる。