「復興進んでいない心痛む」

能登半島地震から8か月、実際に被災地をみた宮司は。
志賀海神社 阿曇幸興 宮司「正直言うとあまり復興は進んでいないところでもあって、家は建っているんですけど、基本的にはもうここには住めないので、解体しないといけないという貼り紙が貼られている家がほとんどで、つぶれている家とかを見たりするととても心が痛ましい気持ちになりました。大阪万博とかぶったりして、建設・解体業者がそっちのほうに向かっていて、なかなか人が能登の方に行きづらい、志賀町の方に行きづらいという話を伺いました。」
志賀海神社に義援金箱

およそ1300年前、海の民・阿曇族の一部が福岡市東区の志賀島から対馬海流に乗って北上し、能登半島に移り住んだことが石川県志賀町の始まりとされています。
阿曇族の氏神を祀る志賀海神社は「海神の総本社」と称えられ、古代より海上交通の要である博多湾の総鎮守として信仰されてきました。

縁のある志賀町を支援しようと志賀海神社と氏子らは今年2月、義援金箱を本殿の前に設置しました。

募金した人「大変だなと思って。志賀島も大地震がありましたので、他人事じゃない」