亀井さんは1979年、42歳で衆院議員に初当選し、建設大臣や自民党政調会長などを歴任しました。その後、小泉政権の郵政民営化など新自由主義的な政策を批判し、自民党を離党。国民新党時代は中小企業の資金繰り支援の法律作りを担当大臣として主導しました。

「弱者びいき」で異彩を放った亀井さん。今も地元で根強い人気があります。
亀井さん
「『数』というよりも『一人一人』を大事にする。一人一人の人が何を思っているかということを政治家はしっかりとくみ上げていく、いとうことがなくなってくると、民主主義というのはいい制度じゃないんだな」
― 広島で言うと岸田総理となりまして2年が経ったわけなんですけれども。
「岸田はいい人間なんだよ。いい人間だ」
岸田総理の手腕を評価する一方、5月のG7広島サミットに触れ、こう苦言を呈しました。
亀井さん
「原爆を誰が落としたんだよ。アメリカが落としたんじゃねえか。慰霊碑の前で大統領にお詫びをさせにゃいかん、申し訳なかったと。それがあまりなかったでしょ。ああいうことはしちゃいかんな」
亀井さんは被爆者だった姉を白血病で亡くしました。6年前に政界を引退した後は、脱原発を唱え、再生可能エネルギー事業に取り組んでいます。
亀井さん
「こういう燦々たる太陽、あるいは風力、こういうものを使って私がエネルギーを調達すればいい、やれるんだから。やらんだけの話だろ?」

































