78年前の体験談を、蛍光インクを使った自作の紙芝居で伝える女性がいます。世界では、今も戦禍に苦しむ人がいます。そんな中、子どもたちに伝えたかったこととは…

紙芝居作家 森本マリア さん
「原子爆弾のことをピカドンと呼びました。ピカッと光って、ドーンと落ちたからです」

89歳の新谷幸枝さん、「森本マリア」という名の紙芝居作家です。広島市安佐北区で開かれた「平和のつどい」で1日、地元の小学生およそ40人に見せていたのは、自作の紙芝居です。

森本マリアさん(1999年取材)
「ドンと音がしたら、セミがいっぺんに鳴きやんだ」

78年前の8月6日、三入国民学校6年生だったマリアさんが見たのは、目もくらむほども原爆の閃光でした。爆心地の近くで負傷した人たちが学校に運ばれてくる様子を何度も目にしたそうです。

マリアさんは、その光景がどうしても忘れられず、戦争や自身の体験談などを紙芝居にして、30年以上、伝え続けています。

そのマリアさんは1日、例年とは違った話を子どもたちにしました。

森本マリア さん
「子どものとき、(日本は)ロシアとウクライナのように戦争していた。どう思う? 誰が悪いかね?」

子どもたちの多くは「ロシアが悪い」と答えました。そうした子どもたちにマリアさんは、4年前に広島に来たときに知り合ったというロシア人男性のことを話し始めました。