きょう(3月22日)で入れなくなる広島城の天守。いまの天守の前には、原爆で崩れ落ちた「初代天守」と、2か月だけ存在した幻の「模擬天守」もありました。広島城学芸員の本田美和子さんと、城の歴史を振り返ります。

広島城は、毛利輝元によって1589年に築城が始まり、3年後に天守が完成したと言われています。当時は「小天守」と呼ばれる小さな天守も2つありました。城下町はかなり大きく、南はいまの相生通り、北は城北通り周辺に堀がありました。

本田美和子さん
「広島城の城下町は、東西南北が約1キロ。広さ90万平方メートル。マツダスタジアムだったら25個入る大きさもありました」

その後、明治時代には小天守は壊され広島城全体が軍用地に…。それでも、市民の憩いの場であり続けました。

学芸員 本田美和子さん
「戦前も本丸内には桜が植わっていて、花見のシーズンになると、軍用地だけれども一般の人も入ってきていました。のんびりとリラックスしてお花見をされていたみたいです」