遺髪によるDNA型鑑定を実施した遺族 梶山修治さん(60)(2025年12月)
「驚きと喜びと…初枝として認められたて本当に良かった」
2025年12月ー。
広島市が初めて行った遺髪の「DNA型鑑定」で、遺骨は梶山初枝さんのものと判明し、遺族のもとに返されることになりました。7万人の遺骨の中で、名前が分かっていたのはわずか812人(当時)。梶山さんはその1人でした。

2026年元日の朝。渡部さんは平和公園にある原爆慰霊碑を回り、手を合わせていました。年の初めの渡部さんの恒例行事です。
渡部和子さん(81)
「原爆で消えた材木町、天神町、中島本町。ここで普通の生活をしていたんですね」

原爆供養塔の清掃を続ける 渡部和子さん(81)
「この方たちはお家の方に伝えたかったこともたくさんあっただろうに、何一つ遺族に伝えられていない。せめてご自分のお家のお墓に、遺族の方とお会いできてお墓に入っていただきたいですよね」
一人でも多くの遺骨が遺族のもとに戻れるよう、渡部さんはそうじをしながら願い続けています。

◇ ◇ ◇
そうじを始めたのは「遺骨がご遺族のもとに帰れないならせめて供養塔をきれいにするのでゆっくり休んで欲しい」という思いからなんだそうです。毎朝20年も何時間もかけて…本当に頭が下がります。
渡部さんによると、以前は「原爆で母の遺骨が見つからないのでカーネーションを買ってきました」と供えに来る人もいましたが、いまは供養塔を訪ねてくる遺族はめっきり減ったそうです。渡部さんは核兵器のむごさを伝える供養塔の存在を多くの人に知って欲しいと願っています。




































