
辛うじて生き残った病院職員に加えて、看護学生も被爆直後から不眠不休で看護にあたったのです。
大島キミエさん(被爆当時17歳)
「顔に紫色の斑点ができて、脱毛して出血したらもう死期が早いですね。大体亡くなりましたよね。あれが原爆症。原因が全然なんであんななるのか治療の仕方がないですよね。もうわからない」

大島さんと同じ看護学生22人も原爆で亡くなりましたが、無我夢中の救護活動で悲しむゆとりもありませんでした。次々に亡くなる人を荼毘に付すのも学生たちの仕事だったといいます。
大島キミエさん(被爆当時17歳)
「17歳のね、今でいう高校生がああいう死体を焼く。全然それがね、悲しいとかね痛いだろうとかそういうことは一切かもう。ただ機械的にどんどん兵隊さんが死体を運んできたのを並べて焼くだけですよね」

































