思い起こそう長崎大水害。空から見た爪痕
5回目は浦上川とその周辺を、水害が発生した1982年7月23日の翌日に撮影されたヘリコプターからの映像で振り返ります。

浦上川では、”源流部から河口に至るまで”広い範囲で被害が出ました。

長崎市街地を北から南へと流れる浦上川。
40年前、この川の周りでも被害が広がりました。


川岸にあった建物は、基礎部分ごと川に崩れ落ちていました。


長崎市川平地区。
浦上川水系の支流で起きた土石流が集落を襲い、34人が犠牲になりました。


中には浦上川を長崎港まで流されて、遺体で見つかった人もいました。


川の両岸で氾濫の跡が見えるほか、護岸が破壊された場所もあります。


中流域には文教エリアが広がります。
長崎大学キャンパスに人影はほとんどありません。


大学の前を通る国道206号。
車は通っていますが、路面電車は停電や、軌道に溜まった土砂の影響で、前の夜から動けなくなり、軌道上で立ち往生した車両もあります。


浦上川は、現在の市民プール(当時、国際体育館があった)辺りで氾濫し、松山陸上競技場付近は泥の海となっていました。


田んぼのようになった陸上競技場は、ヘリコプターの発着点になり、救援物資がここに運ばれていました。


映像にはアパート群も写っています。三菱重工の浜口社宅です。
今は長崎西洋館と、高層化した社宅が建っています。


敷地内に濁流が押し寄せたのでしょうか。車が流されています。

映像で見るとブロック塀の途中で変色しており、この高さまで水が来た可能性が見て取れます。


住民総出で行われていた復旧作業です。

40年前、長崎市内の各地で、このような光景が広がっていたのです。