シリーズでお送りしてきた『思い起こそう長崎大水害』
最終回でお伝えするのは40年前の大水害後、混乱の中で立ち上がる市民の姿です。
40年前の1982年7月26日──大水害から3日目の映像です。

水害の水は大量のゴミを残していきました。


水害ゴミです。
長崎大水害ででたゴミの総量は ”市民が出すごみ” の 1年分に匹敵する量でした。


(当時の放送「NBCニュース6」より)
中でも氾濫した中島川や浦上川沿いの道路には、押し流された土砂や電柱、それに家財道具などのゴミが各所にうずたかく積まれ、交通の障害にもなっています。
このため市の土木管理課と清掃課では、土砂に限って、長崎市内16か所の小中学校の校庭に運び込んでおり、広いグラウンドもあっという間にゴミの山となっています。


商店街では、水に浸かった大量の商品が格安で売りに出されました。
当時「冠水セール」と呼ばれていました。
変わってしまった長崎の街の姿──

その中で市民は少しずつ歩み始めます。

氾濫した中島川の周辺では、市民が水害で水に浸かった家財道具を再び、中島川の水で洗い流していました。
この時、まだ水道は止まったままでした。

大水害で未曾有の被害を受けた長崎
その復興はこうした地道な作業から始まったのです。