25日で退任した長崎市の田上 富久市長の4期16年を振り返ります。

2007年、長崎市長選挙のさなかに現職の伊藤 一長市長が銃撃され死亡するという前代未聞の事件が発生しました。

その大混乱の中、急きょ補充立候補を決めた長崎市職員の田上さんが、2日と2時間の選挙戦で初当選。一職員から突如、市のトップに就任しました。

「この結果を、これからの町作りにそのまま生かしていきたい。皆さんと一緒に作っていきたいと思っています」

飾らない気さくな人柄で、市民からは「田上さん」と呼ばれて親しまれました。

自らの使命を「次の時代の基盤作り」と位置づけ、ハード・ソフト両面から町に人を呼び込み市民の暮らしやすさを高める仕組み作りを進めました。

『出島メッセ長崎』や『新市庁舎』の建設『長崎駅周辺の整備』などの大型事業も16年の任期の中で強力に推進。

しかし、町の姿を変える建設事業を巡っては、5回出された住民投票の直接請求にすべて反対するなど、市民と対立する場面もありました。

平和行政では、核兵器禁止条約の締約国会議や、NPT再検討会議をはじめとする国際会議に積極的に参加。被爆地の代表として「核兵器は絶対に使ってはならない」と訴え、同時に国際的なネットワークの構築にも奔走しました。

さらに「被爆者がいない時代」が近づく中、活動のすそ野を広げるため、市民が参加する「平和の文化」の取り組みの必要性も訴えました。