被爆した母親を亡くし、きょうだい3人に

右近さんの父は前の年に病気で他界。長崎の鉄工所で原爆にあった母・カツさんは3人の子どもを鹿児島県の離島にあった実家へと連れ帰り、その後、容体が急変しました。被爆した影響か、その時の母親の顔は膨れ上がっていたといいます。

右近さん
「兄貴の証言によると、その、お袋が兄貴と姉と私と3人を連れて、軒下に泊まったりしながら自分のふるさと鹿児島県の離島の甑島まで連れ帰ってくれてるんですね。それで覚えているのは、蚊帳の中にお袋が寝てて『守、守』と呼ぶんですけど、その顔が崩れているもんだから、怖くて『母ちゃん』と言って入っていけなかったんですね。お袋が9月9日に亡くなって」

右近さんは今、次第に記憶が薄れていく中でも、支援者の力を借りながら学校や地域で被爆体験を語り継いでいます。

認知症地域支援推進員の高橋直子さんが、右近さんの活動を支えています。

認知症地域支援推進員・高橋直子さん
「右近さんが認知症という診断を受けても、それでも平和を叫び続けたいということで、右近さんはこの講話をすることによって今の状態が維持できるし、右近さんにとっての役割であって生きがいだから、ぜひ続けてほしい」

右近さんが語り部活動の中で訴えているのは、二度と戦争を起こさないために相手を思いやり、行動するということです。

右近さん
「1発の爆弾で6万人も7万人もの人が死ぬということは、これは絶対あってはいけないことですよね。拳を振りあげるんじゃなくて手を差し述べる。国と国との接衝事であっても、為政者の人たちが『戦争はいかん、平和でなきゃいかん』というのを心の中に思っておられる通りのことをやっていただければ、戦争はないんじゃないかって気がするんですよね」

(NBCラジオ佐賀)