8月6日は広島原爆の日、そして9日は長崎に原爆が投下されてから81年となります。被爆者の高齢化は進み、平均年齢は86歳を超えています。佐賀県には、認知症を発症しながらもあの日の体験を語り継ぐ被爆者がいます。

被爆者・右近守さん(85)
「『今日の昼飯、おかず何やった?』って聞かれて『え?どうやったかな?』出てこないんですね。だけどね、あの4歳の時の被爆は鮮明に覚えていますね」
佐賀県小城市に住む被爆者、右近守さん(85)です。4年ほど前に認知症と診断されました。
4歳だった1945年8月9日。爆心地からおよそ1.8キロの長崎市の稲佐で兄と姉と一緒に遊んでいた時でした。

右近さん
「『空襲警報発令、空襲警報発令、敵機は豊後水道を北進中』。これはもう頭の中に鮮明に入ってますね。忘れんなあ。いまの長崎ロープウェイの発着所のすぐ下の防空壕の中に入ってたんですね。兄と姉と私と。そしたら、ピカーッと異様な光があったなと思ったら、ドーンと爆風が来て、防空壕の奥へ飛ばされた。防空壕出たら、境内で遊んでたような人たちが、背中の皮を引きずってね、足首に背中の皮がくっついて『水を!水を!』と言いながらあの、うめいてる子どもたちがいたんですよね」








