
2007年、市長選のさなかに伊藤前市長が銃撃され死亡したのを受けて当時、市職員だった田上市長が立候補し、初当選しました。
■市民と行政の融和を目指して市政運営に取り組む一方──


市民と行政の融和を目指して市政運営に取り組むと共に、深刻な人口減少対策として『出島メッセ長崎』を建設するなど交流人口拡大のための大型事業を推進しました。

一方、そうした大型事業の推進や公会堂の解体、新庁舎の建設などを巡って市民と対立する場面もありました。

4期16年間の評価については…

田上富久 長崎市長:
「その頃の時代に必要なものをちゃんとその頃できたのかっていうのは、少し時間を置いて見ないとわからない部分がある。
この時代にバトンを持たせて頂いて、この素晴らしいまちのまちづくりを進めようという風に思ってきたというところから言うと、自分自身は、ある程度役目は果たせたのではないかなという気持ちを持っています」


また、平和行政を巡っては、核兵器禁止条約の締約国会議やNPT再検討会議など国際舞台の場で“核兵器廃絶”を訴えると共に、市民社会の力が重要な鍵になるとして、『平和の文化』を根付かせる取り組みに尽力しました。

被爆者の評価は…

被爆者 山川剛さん:
「平和行政をね、心がけてやってこられたっていう点はね、これはあの、一定評価するところはあると思うんですけれども」

被爆者 川野浩一さん:
「物足らないと言えばですね、そういう感じはするんですよ。例えば、いま被爆体験者の問題にしてもですね、場合によっては強い口調で政府に迫っていかなければならない時もあると思うんですよ」
■後継については ──

後継について、田上市長は「現段階で明確にいるわけではない」とした上で、今後、特定の候補を支援する可能性も言及しました。


田上富久 長崎市長:
「一番いまの市政を繋いでくれるんではないかという風な方がおられれば応援するということはあるかと思います」


任期満了に伴う来年4月の長崎市長選挙にはこれまでに、長崎市の会社経営の原拓也さんが出馬を表明しているほか、長崎市出身で国土交通省の官僚の出馬が取りざたされています。