三菱兵器製作所に勤めていた16歳のとき、夜勤明けの崎田昭夫さんは自宅で被爆しました。
様々な色の光が突き刺さったと話します。
防空壕にも入りきれず、背中を焼かれた崎田さんは2年間寝たきりの生活を余儀なくされました。
入院をくり返すなかで、5人の子供と被爆した両親との暮らしは困窮が続きました。(1994年撮影)