299人が犠牲となった長崎大水害から今年で40年となります。
Pintでは長崎大水害の被災者や消防関係者の証言の他、大雨に関する最新の研究などについてシリーズでお伝えします。
1回目の今日は40年前の東長崎地区の被害と記念碑などによる災害の伝承です。

長崎市の東部・東長崎地区の中心には2級河川の八郎川が流れています。
40年前に甚大な豪雨災害が起きた地区の一つです。

※激しい雨音

1982年7月23日。長崎市で時間雨量およそ100ミリの猛烈な雨が3時間降り続きました。八郎川が氾濫した東長崎では川のようになった道路に、車やがれきが押し流されました。

当時の映像を手掛かりにこの酒店を訪ね、あの時、ここで何が起きていたのか話を伺うことにしました。
長崎市矢上町の国道沿いに現在も「小林酒店」がありました。

記者「東長崎の当時の様子を見てもらっていいですか?」
小林有三さん「ここですね、うちは。はっきり覚えています、中学3年生だったんですけれども、その時の情景は」

この場所で酒店を経営する小林 有三さん(54)です。
自宅周辺に異変が起きたのは大水害の日の午後6時半ごろ。店の隣の自宅で夕飯をとっていた時でした。
小林さん「こちらだったんですけどお店がですね、父親から"避難しろ"って言われたときには、まだこれぐらいの水位だったもんですから。これぐらいでという感覚で、何で避難しないといけないのかな、と」

父親に促され、店のすぐそばにあった公民館に避難した小林さん。
道路にあふれた水はまたたく間に、その水位が上昇したといいます。

小林さん「早かったですよね、30分くらいですかね。どんどん水位が上がってきたのは。バスが2台動けなくなって、そこに材木とかが、どんどん積み重なって。片側の車線は車がどんどん流されていくような感じで、車の中から女性の方が「助けて」とか言われるのが聞こえたりして恐怖を感じました」

当時の東公民館長の手記には、濁流で立ち往生したバスの乗客が救出される様子が克明に記されています。

20時15分、水位は1m以上。バス2台はいよいよ立ち往生。
22時過ぎ、バスの窓は半分しか開かず脱出困難。運転手が後部座席、背面のガラスを割ってそこから乗客は脱出した。

長崎大水害の被害状況などを研究した長崎大学の高橋 和雄 名誉教授です。
長崎大水害時の浸水水位を示すプレート

高橋 名誉教授「これが長崎水害173センチ、ここまで水位が来た」

長崎市浜町の商店街も甚大な洪水被害が起きていました。
市中心部を流れる中島川流域が氾濫したことでアーケードの商店街に濁流が流れ込みました。店舗も道路も水浸しとなり市街地に車が流されるなど「都市型水害」ともいわれました。

高橋 名誉教授「30センチでも水の流れがあると歩けないし、それから車も、もうドアステップぐらいで浮いて流されますから、とても避難できるような状態ではありません」
氾濫した中島川沿いのモニュメント 水害時の最大水位が刻まれている
水害の時の最大水位が刻まれたモニュメントです。
こうした記念碑やプレートが長崎市内には点在していて災害の歴史を今に伝えています。しかし河川改修などによって防災機能が強化された一方で、水害の記憶はますます風化していくと高橋さんは指摘します。
長崎大学 工学博士 高橋和雄 名誉教授「防災機能が強化された一方、水害の記憶は風化していく」

高橋 名誉教授「安全性が高まって、めったに起こらなくなってくると、今度は日常的な問題で体験がなくなってしまうのが、一番激しいのが水害だと思っている。そこだったら、やはりもっと伝え方を考えていかないといけない」

大水害から40年が経った今、かつての被災地でも災害は二度と起こらないという思い込みが生まれると長崎市防災危機管理室の奥村さんは話します。
写真を拡大 長崎市防災危機管理室 奥村 喜一主幹
長崎市 防災危機管理室 奥村 喜一 主幹「災害が起こってなくてよかったね、と思いがちになるんですけれども、裏を返せばで"正常性バイアス"="自分は大丈夫だろう"という意識が強くなっている」

災害に備え自分の命は自分で守るという「自助」の意識を高めることも重要だといいます。

奥村さん「防災情報、気象情報の取り方はどうするんだろうか、自分の家の近くには、避難所がどこにあるのかとかですね、みんなでハザードマップを見て、自分たちが住んでいる場所は安全なのか安全でないのか、そういうところをですね、確認をしていただければと思います」
八郎川が氾濫し浸水した東長崎の公民館に設置されている水害時の水位を伝えるプレート
水害当時の水位を伝えるプレートは八郎川が氾濫した東長崎の公民館にも設置されています。
大水害の時父親に促されて避難し難を逃れた小林さんは「命」を最優先にした行動をとってほしいと伝えます。

小林さん「命さえ助かればまた何とかなるんだというのを教訓として学んでいます。危ないと思ったら即座に行動してほしい」

いま私たちが暮らす地域にかつてどんな災害が起きていたのかまずはそれを知って避難について考えることが防災の一歩といえそうです。