吉山秀子(よしやま・ひでこ)さんは、被爆当時22歳、
爆心地から南に1.2キロ離れた勤め先の三菱製鋼長崎製鋼所で被爆しました。
三菱製鋼長崎製鋼所は
吉山さんが被爆したコンクリートの本館をはじめ、4つの工場全てが全壊し、
当時出勤していた職員・行員・動員学徒など
2、041人のうち69%にあたる1、406人が死亡しました。
吉山さんは2008年1月31日に85歳で亡くなりました。
乳がんや甲状腺の手術など原爆の後遺症で
50回以上入退院を繰り返しながらも、
長崎を訪れる修学旅行生に被爆体験を語り継ぎました。
(1992年撮影)