入社6年目のNBC長崎放送の岸 竜之介アナウンサー(27)は、長崎市出身の被爆3世。
しかし、被爆者である実の祖父(88)の口から、自身の被爆体験が語られることは、ほとんどなかったといいます。

祖父は一体、どんな被爆体験をしたのか──
被爆者の話を直接、聞ける時間が限られる中、祖父の被爆体験をきちんと聞いておきたいと、岸アナが自ら、祖父にその被爆体験を取材しました。
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■ 孫に”あの日”を話さなかった理由

私の母方の祖父・濵口信行。小さい頃から「じいちゃん」と呼んでいます。


濱口信行さん:「竜、竜か」
岸アナ:「久しぶり」

現在、88歳。じいちゃんは11歳の時、原爆に遭いました。

祖父:「おいは話したことなかもん」
岸アナ:「母親経由というか…」
祖父:「そんくらいやろ」

祖父:「はい、(これが)被爆者手帳」

じいちゃんが被爆したのは、爆心地から0.9キロの城山町です。


家族は、三菱長崎造船所で働いていた父(曾祖父)と、母(曾祖母)、5人の兄と弟が1人いましたが、城山町で被爆したのはじいちゃんだけでした。

■ 連日の空襲で8月9日に引っ越し 防空壕を堀っていて…

その訳を教えるため、私を連れて行ってくれたのは水ノ浦町です。


じいちゃん家族が暮らしていた家は人手にわたり、今は改築されて当時の面影はありません。

岸アナ:「お父さん(曾祖父)の(職場の)三菱が近くやったけん、ここに(住んでいた)?」
祖父:「そうそうそうそう」

三菱長崎造船所や変電所があったこの場所は敵の標的となり、終戦間際には、連日、昼は機銃掃射、夜は焼夷弾の攻撃を受けていたそうです。


祖父:
「飛行機があっちからワーッて来て、バンバンバーンってやってさ。怖かどころじゃなかさ。(人間の)肉が(そばの畑の)カボチャだとか、芋の葉っぱに ついとっとやけん。(ここは)危なかけん、城山の方に引っ越そうってなったわけ」