鉄道とともに生きてきた西中間さん。今、一番気がかりな場所があります。

湧水町吉松地区。昭和30年代には地区の人口の3分の1を国鉄関係者が占め、駅前は活気に満ちていました。

(西中間弘行さん)「私が住んでいたのは、そこです。桜の木のところまで線路があって、その上が家でした。50年くらい前ですね」
しかし、人口減少とともに年々利用率が低下。観光路線としての活用が期待されていましたが、5年前の豪雨で肥薩線の八代・吉松間が不通に。

そして、今年8月の姶良・霧島豪雨により吉松と隼人の間も運休となり、いまだ復旧のめどは立っていません。
長年、吉松地区に住み、地元の寂しい現状を憂う人がいます。










