鹿児島湾に眠る 飛行機と戦争に翻弄された一人の若者の思い
1945年4月7日。「戦艦・大和」が沈没した日に龍三さんは戦死しました。

沖縄での特攻作戦に出た大和を掩護するため龍三さんは零式水偵に乗って飛び立ちます。スピードの遅い零式水偵で掩護する無謀な作戦でした。
零式水偵は大和の掩護に向かう途中、鹿児島湾上空でアメリカ軍戦闘機の攻撃を受け不時着。戦死した龍三さんは当時23歳でした。

(戦死した搭乗員の甥 梶原五昭さん)「飛び立てば命の保証はない、覚悟は持ってやっていたでしょう、機体より叔父さんがどういう感覚だったのか、ショックに思える」
戦後80年の今年、発見された飛行機。戦争に翻弄された一人の若者の思いとともに今も鹿児島湾に眠っています。

(梶原五昭さん・墓参り)
「梶原龍三さま、最後まで意気軒昂で飛び立った飛行機が錦江湾で発見されたと聞きました。どういう気持ちで頑張って敵に向かっていったものか考えると本当にご苦労様としか言いようがありません。ありがとうございました。お疲れ様でした」