堀切さんのような空襲を語る戦争体験者がほとんどいなくなった今、出水市では平和学習ガイドの会が、若い世代に戦争の悲惨さを語り継ぐ活動を続けています。

(ガイド)「飛行機も古くて重い、最後まで行って実際に特攻できた数はごくわずか。青年たちは17歳から24歳まで、日本の将来を担う青年たちが飛び立っていった」

(江内中1年の生徒)
「残酷だったけど、国を守るために仕方なかんだろうなと思った」
「平和に過ごすことの大切さを知った」

戦後80年、堀切さんは平和の大切さについて、こう語ります。

(堀切行男さん・99)
「平和というのはただ戦争をしないということではなく、お互いのきずながあってこそ平和も生まれる。楽しく、いきいきとして緑豊かな土地にしてほしい、人間生涯の平和に対する考え方だと思う」