昭和100年にあたる今年、シリーズでお伝えしている「昭和からのメッセージ」です。今年は昭和20年の終戦から80年の節目の年です。

姶良市には絵で戦争の悲惨さを伝える男性がいます。

昭和20年8月15日。当時9歳の少年が見た姶良市・帖佐駅の待合室の様子です。見上げる先にあるのは、終戦を告げる昭和天皇のおことば。

「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

口を真一文字に結ぶ人やメモを取る人の様子が描かれています。

(有馬昭人さん・89)「うれしさでいっぱいだった、もうアメリカの飛行機が低空飛行してこないんだって」

絵を描いた姶良市の有馬昭人さん(89)です。戦争の悲惨さを伝えたいと、30年ほど前から自分が見た光景や体験者の話などをもとに戦争画を描いてきました。

国民学校3年の9歳の時に、両親や姉とともに空襲が激しかった鹿児島市から、かつて暮らしていた旧姶良町へ避難しましたが、避難先でもたびたび空襲に見舞われました。

(有馬昭人さん・89)「(近所のおばさんが)アメリカにやられた。誰でも弾が当たる時代だから、弾が当たったことは珍しいとは思わない、あすは俺かなと」