名物「焼きそば」の誕生…おいしすぎた余波で「苦情」も
復興後の山形屋は高度経済成長などを背景に建物が増改築を繰り返します。

名物の焼きそばは1958年に誕生。当初、従業員がこぞって食べにいくようになり、客から「いつも満席で食べられない」と苦情が殺到。異例の「従業員入店禁止令」がトップから出されました。

昭和の時代、山形屋は業績を伸ばし続けました。北海道物産展は盛況、屋上遊園地は子どもたちの夢の場所、クリスマス前のおもちゃ売り場は、親子でにぎわいました。




変わる商環境
しかし、バブル崩壊後の1990年代後半から売り上げが減少。

2000年代に入ると、同じ百貨店の三越鹿児島店が閉店に追い込まれた一方、鹿児島市でアミュプラザやイオンなど大型商業施設がオープンしたり、インターネット通販が普及したりと、山形屋を取り巻く環境は激しさを増しました。
(故・岩元恭一社主 2019年)「地域の方の気持ちに応えているのか、常に自己反省していかないといけない。新たな時代、文化に対応して、全従業員の英知を出し合って、次なる100年に向けて歩んでくれると信じている。」

ことしで創業273年の山形屋。県民に愛される「ふるさとのデパート」であり続けるために、自主再建への道のりを歩むことになります。