終戦直後 焼けた店舗…沈む会議の場で社長は宣言した
壊滅的な被害を出しながら、8月15日、終戦。数日後、当時の伊佐郡山野に疎開していた山形屋本部で幹部会議が開かれました。
日本はどうなるのか?焦土となった鹿児島市は復興できるのか?誰も見通せず、会議の空気が沈む中、社長の岩元修一は宣言しました。

「われわれの本業はデパートだ。戦争が終わった以上、ぐずぐずしている必要はない。一刻も早く、鹿児島へ帰って店を開こう」
社員による焼け跡の片付けを進めながら、およそ1か月後の9月17日には営業を再開。全焼した店舗の1階に木の台を並べて、焼け跡から掘り出したやけど用の薬や文房具などを販売しました。

(故・岩元恭一社主)「早く商いをして、地域の方々に食べる物でも着る物でもお届けしないといけない。戸板で商売を始めた。各階を使えるように補修、改修を1階1階やっていった。これが大きな苦労の時代。」
「山形屋がいよいよ商売を始める。それなら、世の中ももう安全なのだろう。」市民はこう話して、平和を実感したと言います。