まずは生活必需品を作ることから
物資がない時代、まず生活必需品を作ることから始まりました。本社の3階で焼けたミシンを修理。社員が手分けして農村から古着を集め、服を作りました。製造の過程で出る切れ端も無駄にせず、帽子やげたの緒を作り、売り場に並べました。採算に合わない仕事でしたが、焼け出された市民生活の不自由を考え、奉仕的に続けたといいます。
並行して、「1年1フロア」を目指し全焼した建物の再建に取り組みました。

(1948年入社 鵜木信也さん・取材時90歳)「社員のみんなが早く昔の大きい山形屋にしようじゃないかという心意気だった。焼け跡の整理をする専門の人たちがいて、よく手伝った。」
全焼した建物は8年あまりかけ再建。復興の苦労を支えた志について、当時の岩元修一社長は「祖先の教えである<信用第一、お客様本位、あくまで堅実に>の社是がいつも守られてきた」と語っていたといいます。