■『吾輩は猫である』 小説家・漱石のエネルギー
これらの絵はがきが描かれた1905年ごろは、漱石の作家人生において極めて重要な意味を持ちます。まさに1905年1月、名作『吾輩は猫である』の連載が始まり、その執筆と並行して、これらの絵はがきは生み出されたのです。
実際、『吾輩は猫である』の作中には、猫の”主人”が水彩絵の具で絵を描き始める印象的な描写が登場します。
「この主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかり後のある月の月給日に、大きな包みを提げてあわただしく帰って来た。何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。果して翌日から当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。」
(夏目漱石 小説『吾輩は猫である』より)
作中のこの一節は、執筆前に筆を握り、絵の具に向かっていた漱石自身の姿そのものでした。
(秀明大学 長島 裕子客員教授)
「文章を書くこととは別の表現手段として、漱石はまず絵はがきを描くことに没頭していました。自身の内なるエネルギーや創作への意欲を、小説を書く前にまず絵のほうに向けていたのではないかという節が強く感じられます」
松山の旧制中学校で教鞭をとったのち、熊本での教師生活を経てロンドンへの留学を決意した漱石。帰国後、東京帝国大学などで講師を務めながら、彼は小説を書き始めました。
『坊っちゃん』や『草枕』など、次々と名作を生み出していく多忙な生活の中で、「描くひまがない」とこぼしながらも、ひたすら名画の模写に没頭する時間。それは、のちの国民的大作家・夏目漱石が誕生する過程で不可欠な、エネルギーの巨大な発出先であったと考えられます。
また、宛先が橋口五葉らであったことも重要です。漱石は教え子たちに対して、自身の絵画への好みがにじみ出るような作品を数多く送っています。「この教え子に対してであれば、自分の好みを表現しても分かってくれる」。そんな深い信頼関係と人間関係が、これらの絵はがきから鮮明に浮かび上がってきます。









