36年前の入社当時から松山駅のビジョンづくり
松山駅の高架化に向けた議論が本格化した2004年には、愛媛企画部長として松山に赴任し、難しい調整にあたった四之宮社長。実は、36年前の入社当時から松山駅のビジョンづくりに関わってきました。

「私が入社したのは平成元年('89年)で、その頃は四国の中では徳島駅に駅ビル、ホテルと商業施設をつくる計画が進んでいて、上司からの宿題は、松山が今後開発のターゲットになるだろうということで『絵と収支計画みたいなものを弾いてみろ』というのが私の最初の宿題だったんです」
入社1年目に描いた再開発のビジョンとは?
「その時の資料があればということで探したがなかったんですが、覚えているのが駅の西側にたくさんマンションを造ればいいじゃないかというのを入社1年目の時に書いた記憶があって、なぜマンションと思ったかというと、駅の近くに住む人がたくさん増えれば鉄道の利用者も増えることにつながるのではないかと当時、思ったんだろうなと思います」
松山駅は“ビジネスチャンス” どう生まれ変わる?
松山駅では、これからJR四国による再開発プロジェクトが始まろうとしています。その舞台となるのは、旧駅舎とホームや線路の跡地です。

「今後ここに何をつくっていくのかということが弊社にとっても大きなビジネスチャンスだと思っていますが、その際に最近言われているのがエリア全体のタウンマネジメントが大事だと言われているので、私どもの駅舎をつくる際には周辺にどういったものができるかということもあわせてタウン、エリア全体を考えたような施設をできるだけ早く作りたいと考えています」
四之宮社長は、施設の内容については検討中とした上で、コンセプトとして挙げたのは?

「昨今は駅まち空間という言い方で、駅周辺には多目的の人が来る空間なので、そこで滞在できるような施設も必要だと言われています。これまでの他の駅でも全国的にもだいたい商業施設とホテルというのが一般的でしたが、時代も大きく変化しているので、これらを軸にしながらまだ他にできるものがあるんじゃないかと思っていますし、従前と違う駅周辺の開発というのが考えられると思っています」
今後のスケジュールについては、旧駅舎の取り壊しやホーム、線路の撤去が完了するのが早くて年内で、新しい施設ができるのは2028年以降になるという見通しを示しました。