■プロのマウンドで思い描く未来図…視線の先には“連合甲子園”と“一希シート”

 11月上旬、滝田投手は、黒松内町へ帰省しました。役場には垂れ幕がかかるなど、町内から初のプロ野球選手の誕生に、地元はお祭りムードだったと振り返ります。

 「母が働いていた職場の友人もみんな喜んでくれて泣いていました。プロになって良かったと、本当に嬉しかったです」

 11月20日に仮契約を済ませた滝田投手。

 「母の一生の家になるので、どんな墓にするかや場所を考えています」と“野球でお母さんのでっかい墓を建てろ”という二宮監督との約束も忘れていません。

 そしてプロの野球人として踏み出した滝田投手は今、自身の境遇を踏まえ、球児たちにもまなざしを向けています。

 「少年野球のチーム数が減っているので、なんとか力になりたいです」

 日本高野連の調査によりますと、今年度の加盟校の部員数は、去年より3000人近く減っています。部員の減少は9年連続で、「連合チーム」の数でみると、北海道はこの夏、全国で最多となりました。

 「まずは1軍で活躍してからですが、将来は子どもたちに道具を支給したいです。道具が高くて野球ができない人も多いと思うので」
 「連合チームについては”連合甲子園”とかあったら面白いですよね。北海道だけでも。そのときは自分が始球式する(笑)」
 「少年野球や高校球児には楽しく、真面目に、あきらめずにやってほしいです。そういった中で活躍したら必ず誰かが見ているので。自分がそうでしたから」とエールを送ります。

 そんな滝田投手が思い描くマウンドの上からは、自分と同じ母子家庭の子どもたちが見えています。

 「母子家庭で野球を続けるのはきついので、そういった人たちの助けになるようなことがしたいです。プロで活躍した暁には『一希シート』を設けて、少年少女100人ぐらいをマツダスタジアムに招待できるようになりたいです。そういう目標を決めないと自分は頑張れないので…」