今年のプロ野球ドラフト会議で、広島から3位指名を受けた、星槎道都大学の滝田一希投手21歳。
部員不足から連合チームを経験した高校時代、そして進学した大学では母親との死別を乗り越えて、プロの道をつかみました。
最速153キロの本格派左腕がたどった軌跡と、プロのマウンドで思い描く未来図を聞きました。

■6人きょうだいを一人で育ててくれた母親
滝田投手の故郷は、人口2000人あまりの北海道黒松内町。
兄2人、姉2人、弟1人の6人きょうだいで、母親の美智子さんが女手一つで育てました。

「とにかく毎日、母は働いてばかりで、僕は怒られてばかりで…」
滝田投手が野球を始めたのは、小学3年。そのころ、母親の美智子さんは、早朝5時から地元のコンビニエンスストアで働き、午前7時に一旦帰宅。そして6人の子どもたちを学校へ送り出すと、昼は医療施設の調理担当として午後3時まで勤務。そのあとは再びコンビニに戻って、夜9時ごろに帰宅するという毎日でした。
「コンビニでは深夜まで働くこともあり、帰宅が午前1時半になることもありました。その時は『体が痛い』と言っていて。椅子から立ち上がる時も辛そうでした」と子どもながらに、母親のことが心配だったといいます。
「それでも…当時は、自分は悪いことばかりして怒られていたので、帰ってきてほしくなかったですけど(笑)」と、”やんちゃ”だった自分を振り返ります。